2.馬籠宿〜落合宿

約5.8km

 

日本遺産に認定された島崎藤村宅(馬籠宿本陣)跡がある馬籠宿を出発し、

山肌に連なる棚田と中津川市街を一望するビューポイントを通ります。全体を通して下り基調の軽快に走行できるコースです。

 

【コースの見どころ】

  • 馬籠宿
  • 諏訪神社
  • 信州サンセットポイント100選 正岡子規句碑
  • 落合の石畳
  • 棚田を望むビューポイント
  • 医王寺
  • 下桁橋・中山道落合宿滝場
  • 高福寺
  • 中山道 落合宿本陣
  • 落合宿
  • 善昌寺 

馬籠宿

約600メートルの急峻な地形にある宿場町は、全国的にも珍しく、坂の下の方には、敵の侵入を妨げるために街道を鉤の手に曲げた「枡形」も残っています。両脇には格子のある民家、資料館、茶屋、土産物店など、江戸時代を彷彿とさせる家並みが連なります。

藤村記念館

藤村の生家であり、馬籠宿の本陣・問屋・庄屋を兼ねる旧家の跡です。。

すべての作品、直筆原稿、周辺資料など約6千点を所蔵・展示。藤村が幼年時代に学習していた「隠居所」のみ、当時の姿のまま残っています。

馬籠宿内の水車小屋

馬籠のフォトスポットのひとつです。今も現役で活躍しており、内部は見学が可能です。


諏訪神社

「夜明け前」の中でも、荒町の村社、諏訪社としてたびたび登場します。

信州サンセットポイント100選 正岡子規句碑

正岡子規が桑の実が生る信州から馬籠を通り、麦畑が続く美濃路に入った際に詠まれたとされる句『桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな』が刻まれた碑が立っています。

この句碑が置かれた小公園は、ウォーカー、サイクリストなどの休憩ポイントであるとともに、眼下に開けた棚田や中津川市街、恵那峡、笠置山が一望でき、夕日が美しいことで知られています。

落合の石畳

全長840mにも及ぶ石畳。国の指定史跡となっており、そのうち約740mは当時のまま残っています。老朽化や石の持ち去りなどの理由もあり、当時のままの石畳が残るのは、東海道の箱根と落合の2か所のみといわれています。政治的に重要な「軍事道路」として利用されていた中山道は、馬はもちろん、大砲が通れるようにぬかるみがちな所には石畳が敷かれたといわれています。和宮降嫁の際には千人以上の人馬が、黒船来航時には、大砲も通ったという史実も残されています。


棚田を望むビューポイント

コース上から落合の美しい棚田を望むことができます。幾重にも重なったように見える棚田の眺望はインスタ映え間違いなしです。

医王寺

狐膏薬で有名な別名山中薬師。「夜明け前」には、中山薬師として登場します。日本三薬師のひとつで、虫封じの薬師として各地からの参詣者も多い。奥庭の池の傍らには、松尾芭蕉が詠んだ『梅が香に のっと日の出る 山路かな』の句碑があります。

下桁橋・中山道落合宿滝場

十曲峠を背景に木曽名所図会にも描かれました。 落合川に架かる下桁橋、。 別名は、落合橋、釜ヶ橋。 橋桁のない美しい橋であったが、しばしば大水で流されたと伝えられています。


落合宿

木曽路の険しい難所をひかえる旅人たちを迎えた落合宿は、映画「十三人の刺客」で決戦地としても描かれた、今も山あいの街道情緒を残す宿場町です。

善昌寺の門冠の松

明治24年の道路拡張工事で寺の一部が道路となり、寺は東へ移設されたが、境内にあった松はそのまま残され今の形になりました。

創建当時は山門を覆っていたことから「門冠の松」、現在は「路上の松」と称されています。

落合宿本陣

井口家が代々本陣を務め、問屋・庄屋を兼務しました。表門は文化12年の大火の後に、定宿としていた加賀藩前田家から火事見舞いとして贈られたといわれています。当時の本陣の建物が残っているのは、中山道全ての宿場町の中でも数少なく、大変貴重です。七代目市川団十郎を追いはぎから匿い、後に礼状と品が贈られたといわれています。